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​私のストーリー

1981

私はハンガリーのブダペストでミュージシャンの家族のもとに生まれました。父はオペラ歌手(テノール)として有名で、母は音楽一家の末娘として生まれ、オーボエ奏者です。母の父は1945年から1965年にハンガリー国立歌劇場管弦楽団の首席チェロ奏者であると共に、フランツ・リスト音楽院で人気のある教授として多くの生徒を受け持っていました。伯父はヴァイオリニスト、伯母はソロチェリストとしてフランツ・リスト室内管弦楽団で活躍しました。もう一人の伯母もフルート奏者。姉もチェリスト。ほとんどの家族が音楽家です。

私は幼い頃、ヨーロッパ、特に「西」ドイツを旅する機会がありました。父は西ドイツのオペラハウスで働いている時期がありました。それは共産主義政権時代の「豪華な」西側を経験する素晴らしい機会でした。

 

私は4歳の時にヴァイオリンを習い始めました。音楽はいつも私の周りにありました。頻繁に両親とオペラハウスやコンサートを聴きに行きました。私の最初のリヒャルト・シュトラウスは、私が6歳の時。父の出演するサロメでした。とは言っても、寝る子は育つ、私は長いパフォーマンスの間に眠りに落ちてしまったけれど。

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1995

バルトーク音楽学校に合格し、本格的な音楽教育を開始することになりました。

この学校に在学中、ハンガリー国立歌劇場の監督に直談判し、アルバイトとして雇ってもらいました。彼は私の父の上司で、父は私の計画を知りませんでした。私がもらった仕事は観客のための字幕を表示させる事でした。13歳の自分の息子が上司から仕事の契約を取り付けた事に父は大変驚いていました。

 

2000

以前から、ヴィオラの音が私の魂と個性に近いように感じていました。大学に進むことを機に、ヴァイオリンからヴィオラに転科し、リスト音楽院に入学しました。

 

リスト音楽院在学中、私はヴァイオリニストのヤーノシュ・ホルヴァースと出会いました。彼はダヴィッド・オイストラフが在籍中のロシア音楽界のいわゆる黄金時代にモスクワ音楽院で勉強していました。彼は、私が聞いたことがないようなテクニック、音楽の解釈、それらすべてを詳細に教えてくれました。彼は私にとって先生であり、かけがえのない友人となりました。

 

音楽院在学中、日本からの留学生と知り合い、一緒に弦楽四重奏を結成しました。私は彼らから音楽に対しての直向きさ、そして相手を尊重し合うような姿勢にとても感激しました。日本へ初めて行ったのもこの時期でした。佐賀国際音楽祭にオーケストラのメンバーとして参加しました。日本と日本の人は私の考えや想像力を大きく変えました。私はますますこの文化に興味を持ち始めました。

 

2005

私の人生の中で最も幸運なことがありました。後に私の妻になる飯村智子との出会いです。彼女は当時リスト音楽院でピアノ科の生徒として留学していました。私たちは出会った時からお互いを近い存在のように感じました。私たちはいつも音楽のことばかり話していました。切磋琢磨し絆を深めていき、2009年にハンガリーで結婚しました。

 

ブダペストの卒業後、勉強を続けることに決め、ラヴェル四重奏団のヴィオリスト、ゾルタン・トート氏のもとで勉強するためにスイスのヌシャテルに留学しました。私はここで朝から夜遅くまでただただ練習するという日々を3年過ごしました。

 

2008

当時ジュネーブ音楽院で教鞭を振るう世界的ヴィオリストの今井信子氏の門戸を叩きました。今井氏のもとには世界各国から生徒が集まり、大きな緊張のもとでの試験でした。ジュネーブの3年間は、今井信子氏という一流の演奏家のもと、世界各国のマスタークラスに参加し、多くの素晴らしい演奏家に出会いました。今思い返しても、学生として大変密度の濃い日々を過ごしました。ヤーノシュ・シュタルケル、タチアナ・マズレンコ、ポール・コッカー、ベラ・シキのような多くの偉大なミュージシャンと会いました。

ジュネーブ音楽院時代に出会ったガーボル・タカーチ=ナジ氏。彼は私の室内楽の先生でした。学生時代私は彼から多くの影響を受けました。音楽的にも人間的にも。彼は私に一音たりとも感情のない、あるいは意味のない音を弾かせませんでした。私は彼のような素晴らしい音楽家と個人的にもたくさんの時間を過ごすことが出来、本当に幸運でした。彼からのすべての言葉は今でも私の意識の中にあり、息づいています。ありがたい事に、今でも彼とは良き友人として絆を深めています。

 

2012−2014 

アラブ首長国連邦のシャルジャで新しい音楽学校を創立するため先生を募集しているとの情報を得ました。私は、西洋のクラシック音楽文化を構築するために中東に行く素晴らしい機会だと考え、意気揚々と現地へ赴きました。そこでは今までとは全く違った文化に触れ、心温かで情熱的な人々に出会い多くの新しい経験を得ました。アラブで出会った子供たちはとてもたくましく、高い才能に恵まれていました。自国の内戦や紛争に見舞われ過酷な経験をしてきた家族たち、、、約2年という短い期間でしたがここでの経験は私にとって貴重なものとなりました。

 

2014−2021

私たちはカルガリーの小さな音楽学校でヴァイオリンとヴィオラの講師として赴任しました。1年後、マウント・ロイヤル大学で講師の職に就きました。私は素晴らしい個性と才能あふれる生徒を持ちました。これらの学生は私たちの非常に良い友達になりました。

 

ここで、私たちは2人の子供に恵まれました。奇跡と幸せに満ち足りた素晴らしい瞬間でした。彼らが生まれてから私たちの生活は一変しました。音楽一色だった生活から子供第一に。子供たちは私により多くの感情や思いもしなかった経験を与えてくれました。現在進行形です。これらのすべての経験が私自身の一部になり、私のビオラの音色も変わってきていると感じます。

 

そして、予てからの私の憧れだった「日本に住む」という夢を、妻は私の40歳の誕生日プレゼントとして叶えてくれました。私たちは今ここにいて、新しい生活を築き始めています。この国はなんて素晴らしいのでしょう。これまで培ったすべての知識と経験を生かし、日本でヴァイオリンとヴィオラを教えることに熱い想いを持っています。

​学歴

演奏実績

カルガリー大学
​カナダ
カルガリー

今井信子氏
ガーボル・タカーチ=ナジ氏
ジュネーブ音楽院
スイス/
ジュネーブ

ゾルターン・トート氏
ヌシャテル音楽院
スイス
ヌシャテル

 

ラースロー・バルソーニ氏
リスト・フェレンツ音楽院
ハンガリー
ブダペスト

ラースロー・デーネシュ氏
バルトーク・ベーラ音楽院
​ハンガリー
ブダペスト



指導歴

プライベート
スイス
ジュネーブ
 

音楽学校
アラブ首長国連邦
シャルジャ

マウントロイヤル音楽院・プライベート
カナダ
カルガリー

日本・台湾ツアー 「ヴォワラ・ヴィオラ!」アンサンブル
今井信子氏 | 2011年8月

 

第16回ベルリブ音楽祭
ガーボル・タカーチ=ナジ氏 | 2011年7月

 

ハンガリーラジオ・マーブルホール (ハンガリー/ブダペスト)
今井信子氏 | 2011年2月

 

バルトーク・ベーラ記念館 ヴィオラリサイタル (ハンガリー/ブダペスト)
飯村智子 | 2010年5月

 

オーブダ集会 コンサート (ハンガリー/ブダペスト)
ヴィオラ室内管弦楽団 | 2010年4月

 

ヴィオラ・スペース・ジュネーブ (日本/福井県//武生市)
2009年8月

 

プライベートコンサート (スイス/ジュネーブ)
今井信子氏・ガーボル・タカーチ=ナジ氏 | 2009年7月

 

ヴェルビエ音楽祭 (スイス/ヴェルビエ)
2009年7月

 

センテンドレ音楽祭 (ハンガリー/センテンドレ)
タマーシュ・ロジョシュ氏と仲間 2008年3月

 

若きソリストのポージアム (ハンガリー/ブダペスト)

2008年3月

 

オーブダ集会 (ハンガリー/ブダペスト)

飯村智子|室内管弦楽団|2008年8月

 

オーブダ集会 ヴィオラリサイタル (ハンガリー/ブダペスト)

飯村智子|2007年1月

 

リスト音楽院 ディプロマコンサート
2005年4月

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